

寅さん

丑くん
占いに来られるお客様で、
「不吉な事は怖いので言わなくていいです!」
とおっしゃる方がいます。
確かに不吉な事は出来るだけ避けたいですよね。
でも「不吉」な事って、そもそも何でしょうか。
事件・事故は占える?
まず不吉な事というと、事件や事故などが挙げられます。事件や事故が決められた運命だと言えるのでしょうか。
生年月日から割り出される「命式」には、その人の生物としての情報が記述されています。
あくまで「その人」の情報だけです。
(※厳密には六親(父母兄弟)の情報も書いてあります。)
ほかの人間のことは一切書かれていません。
その意味で「他人」が巻き起こす事件・事故などを占う事は不可能です。
電車が脱線したとか、対向車が急に車線変更してきたとか、隣の家がゴミ屋敷
だとか、ナイフを持った泥棒が入ってきたとか・・・。
その人に、何の落ち度も無いケースですね。これらは「命式」から読み解けるわけがないんです。
ただし。
その人自身の特性が巻き起こす事件・事故などは予測が立てられる範疇です。
占った結果、もって生まれたその人の特性が「短気」「口が悪い」「ワガママ」だったりすると、「そのうち誰かとトラブルを起こしそうだな」と予測は立ってきますよね。
占った結果、もって生まれたその人の特性が「感情的」「浮気性」「行動的」だったりすると、「そのうち、恋愛トラブルに巻き込まれそうだな」とか、未来予測を立てたり出来ます。
事件・事故・トラブル等は、そんな風に分けて考えて下さい。
あらゆる吉凶禍福(きっきょうかふく)を、自業自得のトラブルなのか、そうでないのかで捉えて下さい。
不幸をどうとらえるか
四柱推命をはじめとする様々な占いは「吉凶禍福」を予測するわけですが・・・。
しかし、そんなに簡単に吉凶禍福を判断できるものでしょうか。
なにをもって「吉」とするのか。
なにをもって「凶」とするのか。
なにをもって「禍」とするのか。
なにをもって「福」とするのか。
絶対に、断定は出来ないはずです。
その時「凶」だと思っても、後で考えたら「吉」だったという事が、人生には往々にしてあるわけです。
予測が出来ないんですね、吉凶禍福というものは。
有名な「塞翁(さいおう)が馬」というエピソードがあります。
大辞林 第三版の解説
さいおうがうま【塞翁が馬】
昔、塞翁の馬が隣国に逃げてしまったが、名馬を連れて帰ってきた。
老人の子がその馬に乗っていて落馬し足を折ったが、おかげで隣国との戦乱の際に兵役をまぬがれて無事であったという話から。
物語なんかですと、この塞翁というジイさんは偏屈者として描かれたりします。
飼っていた馬が逃げてしまって村人が、ジイさんを慰めにくるんですが、
「馬が逃げたからと言って凶とは限らん!」
とか言ったり。
その馬が、名馬を連れて戻ってきた時も、村人たちは、ヨカッタ、ヨカッタと祝杯を挙げに来るんですが・・・。
「吉とは限らん!」
と、ジイさんは言うんですね。
塞ジイさんは、へそまがりで偏屈者かもしれませんが、ジイさんの物事に対する態度は、人生の様々な吉凶禍福に対する、正しい視点だと思います。
結局、吉凶禍福はその人自身の解釈の問題です。
占い師ごときが軽々しく吉凶を言えるわけがないんです。
事故や事件、トラブル等も「災い転じて福となす」ことが多く見受けられます。
交通事故に遭って入院してしまったけど、病院の看護師さんと恋仲になって、結婚・・・みたいな。皆さんも思い当たる事があるはずです。
そういえば、私(筆者)の知人は、交通事故を起こした相手と示談交渉をしている内に惹かれあって結婚に至りましたよ。
占いに行く前に注意報!
占いに行く時は大体が悩んでいる時です。
職業、恋愛、金運、健康・・・人生には色々な悩みがつきまといます。
不幸のオーラを身にまとって、占い師に相談を求めにいく・・・。そんなお客様は占い師の恰好のカモですよ。
だからチョッと待ってください。
貴方は本当に不幸ですか。絶対的に不幸だと言い切れますか。いま貴方を苦しめている物事や環境も、意外に「塞翁が馬」なんてことになったりしませんか。
一歩ひいて人生を俯瞰してみて下さい。
野球でもサッカーでも相撲でもボクシングでも、観客席から見ると手に取るようにゲームが解りますよね。
「もっとパスを繋げないと!」とか、「そこで寄り切ればいいのに!」など、素人が、監督や親方になった気分になれるのは何故でしょう。
離れたところから観戦しているからですよね。
観客席(あるいはテレビ)から見ることで、フィールドや土俵で戦っている人とは全く違う視点を持てるわけです。
人生も、ゲームを見るように俯瞰できたら、イチイチ一喜一憂しなくなります。

寅さん
ごはんウマウマ!のんびりゆっくりライフワークバランス!
なんて幸福なんやろ!

丑くん
仕事で、地方の田舎に1年間も出張や!
わい、どこまで不幸やねん。